末人の物語

「要するに」は危険な言葉

「要するに」は難しい言葉です。

上手な人が使うと、話を回せる便利な言葉ですが、便利の裏には問題が隠れてます。

自分の言葉を要するとき

「いろいろと長々話させてもらいましたが、要するにこういうことです」

一番いいたいことを伝える場合に用いられる言葉ですね。

そこで問題になるのは、いままで話してた話題が上手に要せていないと違和感のある言葉になりやすいです。

前の話と後の要するにの辻褄があって初めて効果を発揮する言葉です。

要するにではなく、「つまり」、「簡単に言ってしまうと」などを使うとハードルは下がります。

相手の言葉を要するとき

「君が言いたいことは要するにこういうことだよね」

これが一番危険です。そうじゃないと感じている場合が多いですし、要するには強制終了の言葉です。

この話はこれでお終いと他人に言われているということです。

他人に勝手に要約されて、『そうそう、そういうことが言いたかった』となる場合は稀であります。

理解できない話を、無理やり自分の理解の範疇にもってこようとする愚かな言葉です。

相手に聞くとき

「要するにどういうことですか?」

これは、分かりやすく簡潔に説明してほしいという言葉になります。

話し手は要するにで要せないことを話していると考えてください

小説で例えるとわかりやすいかもですが

「この小説は要するにどういうことですか?」と聞かれて

「この小説は男女の恋愛の葛藤を描いたものです」と答えてしまうと、安っぽくないですか?

その葛藤を300ページかけて書いているのは、要するにで表現できないからです

要約の危険点

要約の危険な点が見えてきたと思います。

本やドラマ、映画の要約などは大変ありがたいコンテンツです。

時間の少ない私たちは全てを享受できるわけがないので、ある程度の選別には効果的です。

しかし、要約をよんで、その人が言いたいことが理解できたと思ってしまうのは危険です。

まとめ

言語化できないことを四苦八苦して言語化しようとして、長文使っているところが一番大事なところなのかもと思う次第です