末人の物語

愛の五箇条

愛は動詞、愛は技術なので勉強すれば愛する方法は分かります。

人間誰しも愛されたいと思っていますが、それは愛することでしか手に入らないものです。

理解できても実行できない内容ばかりですが、孤独を埋めたくて仕方ない人は試す価値はあるでしょう。 

1.愛とは無条件に与えること

愛を説明するとき、一番分かりやすく、身に覚えがあるのが親子の愛です。

親は子供から見返りを求めて子供を愛しているわけではないです。むしろ子供に与えることができないのが苦痛で仕方ないくらいです。

相手に奢りたくない、もしくは奢られたい。都合のいいときだけ連絡を取りたいなど。そこに愛はありません。

2.自分から与えなければ、愛は手に入らない

相手からよくしてもらっているから、相手を愛そうは愛ではない

自分から愛したからといって、相手が愛してくれるとは限らない

3.駄目な部分も愛せなければ愛ではない

テストでいい点数を取ったから愛する。自分の意見を聞くから愛する。有名な企業に就職したから愛する。

親子関係においてさえも、条件付の愛がはびこってしまってます。

4.相手を知って尊重する

相手の興味あるもの、嫌いなもの、今どんな気持ちなのか、何を考えているのかを知って相手を気遣う。

相手のことを知らなければ、尊重できない。

相手の喜ぶことが何なのかに興味はないけど、愛してる。というものは存在しない。

5.自分が一番大切という考えをを捨てる

親が子を身を挺して守るように相手を大切にする。

大好きなショートケーキを譲ってあげられますか?

家の中で煙草を吸っていませんか?

結婚詐欺は後悔してない場合も多い

結婚詐欺とは、相手と恋愛関係になってお金を巻き上げるとう詐欺です。

許せない行為ですが、被害者は被害届をださないケースもあるといいます。

理由は、相手を愛したからです。

相手からは愛されなかったですが、自分が惜しみなくお金を差し出すほどに相手のことを愛していたのです。貸したお金が倍になって返ってくるからお金を貸したわけではないということです。

そして、人を愛するということは、とても幸福なことです。人に愛されることではなく、人を愛することは大金に見合う価値のある行為だったのです。

諦めるのも手

愛は受け取るものではないので、100人の人から愛されたところで自分の孤独を埋めることはできない。こちらから与え続けることによって孤独は解消される。

孤独を解消するためという見返りを求めては愛ではなくなるというジレンマがある。

愛は難しいので、愛を諦めて生活するというのも間違いではない選択肢。

最初は愛じゃなくていい

最初から愛を求めて行動しなくてもいい。

例えば、駄目な所も愛するのが愛だからといって、自分を良く見せる努力をしなくていいという理由にはならない。最初から、ありのままの自分を見て欲しいというのは傲慢でしかない

出会い、興味は愛とは別のところで生まれるのだから。きっかけを捨ててはいけない。

まとめ

五箇条に当てはまるから本当の愛、当てはまらないから偽者の愛という判別に使うのではなく。

今見返りを求めて行動してたなと気づいたら修正する。相手の駄目な部分が許せないと思ったなら、相手を許すようにする。という風に指針として使ってもらえればなと思います。

改めて言いますが、愛は行動です。感情は変えられなくても行動は変えることが出来ます。