快と誤快
快楽には大きく2つあります。
それは
①「欲望が満たされた状態」
②「心に苦痛がない状態」
①と②では、成り立ちもアプローチも全く違うのに、私達は同じ「快楽」という言葉を使っています。
世界史の授業で、ギリシャの哲学者エピクロスの提唱した「快楽主義」
はじめて聞いた時どう感じましたか?
私達の感じていた快楽とは違ったように感じたと思います。
世界史の先生もこのようにおっしゃっていたでしょう。
「みんなが思っているような快楽じゃない」と
元来「快楽」とは②を指す言葉だったのです
しかし、昨今では①のイメージが強く
①の快楽が良い感情、幸福になれると位置づけてしまってます。
この言葉が問題の発端であると考えます。
であれば言葉を直すことから始めないといけないので
①の「欲望が満たされた状態」を誤快
②の「心に苦痛がない状態」を快とします。
欲望は向こうからやってくる
誤快を具体的にみていきましょう。
寝たいから寝る
食べたいから食べる
かゆいから掻く
これくらいなら問題なさそうですね。これらは自分から発せられる欲望です。
買いたい物を買う
ゲームをしたいからする
イラッとしたから殴る
この手の欲望は向こうからやってくる欲望です。
誰かに物を買いたいと思わされ、物を買ったはいいが使わず後悔する。
そして、誤快は不快とセットだということがわかります。
お腹が空いたという不快から脱したい、物がほしいという物欲から脱したい。
誤快は不快があるところにしか発生しません。
誤快に振り回された生活が、あなたの理想の生活ですか?
誤快は必要だが王様ではない
誤快は悪者、誤快をゼロにした方がいいという話しではありません。
誤快を追い求める姿勢も人生の醍醐味になります。
常にこころ穏やかに暮らしているというだけが、楽しい人生とは呼べません。
ここで言いたいのは、「誤快」のポジションをさげようよという話です。
現代の価値観は、誤快>>>快楽>不快
のようになっていると感じてみます。
ですが正しい姿は
快楽>誤快>不快です。
まずは「心に苦痛がない状態」を王様において、それを目指し生活しましょう。
そして、誤快と不快を人生の付加要素として取り入れていきましょう。
あくまでトッピングです。
さながら今は、麺よりも七味のほうが多く入っているうどんですね